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他の人には真似できない、あなたらしさが咲くところ。

武市 理佐

他の人には真似できない
あなたらしさが
咲くところ。

コンサルタント

武市 理佐

Takechi Risa

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉には全く共感ができないという武市さん。多様な価値観に興味を抱き、個性を表現できる場所を見つけ出すことの大切さを知る武市さんに、これまでの人生で培った信念と、今後のキャリアで目指す理想像を聞いた。

インタビュアー/小野洸樹

探し求めていた自分の個性

高知県出身とのことですが、子ども時代に心に残っていることは何かありますか?
私は2つ上に姉がいて、2人姉妹の末っ子なんですが、当時を思い返すと「姉に負け続けた」というのが印象に残っています。両親が、姉だから、妹だからという差を付けず対等に育ててくれたこともあって、スポーツや勉強が敵わないと「なんで勝てないの、姉だけ褒められて悔しい、私も褒められたい!」と、良く張り合ってましたね(笑)。目指すべき存在であると同時に、一番負けたくない相手でした。
自分らしさについて考えることが多かったんですね。
そうですね、「姉にはなくて私にあるものは何なんだろう」と、ずっと考えていました。それと、その延長で人の個性や、どんな経験からそうした思考や好みを持つようになったんだろう、という個性の背景にも興味を持つようになっていきました。
たとえば、高校の時にユニークな授業をする英語の先生がいて。その先生がどうして周りの先生と違うんだろうと考えていた時に、一度社会人経験を積んでから教師の道に進んだことを知りました。だから受験やテストのためではない「生きた英語」を教えてくれていたんだなと分かって、より一層その先生の授業が面白く感じるようになっていきました。
武市さんは人を良く見ていますよね。
小学校でバレー部のキャプテンをやったり、中高はオーケストラの部長になったり、大学で劇団の監督をやってみたりと、なぜか昔からまとめ役になることが多くて。自分に自信がない分、人の長所を見つけるのは得意だったんだと思います。これはこの人に任せた方がいいというのが何となくわかりました。だから、まとめるのが上手だと思われて、まとめ役を任されることが多かったのかも知れません。
もともとは自分と姉を比べて、自分らしさと向き合っていたんですが、だんだんと他の人の「その人らしさ」を発見するのが楽しくなって、自然と適材適所を見極められるようになっていきました。
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想いを届けるやりがい

新卒では求人広告会社を選んだんですね?
もともと広告業界に興味を持っていました。自己分析の一環で、自分は何をしている時が楽しかったのか考えていた時に、オーケストラや劇団のことを思い出したんです。楽譜や脚本に書かれていることを解釈して、どう伝えようかみんなで考えて、観客へと届ける。それが楽しかったんだな、ということに気付いて、想いを届ける仕事に就こうと考えました。それで、求人広告を取り扱う会社に入社したんですが、最初はしんどかったですね。テレアポ100件、飛び込み100件、とりあえずお客さんの所に行って、話もできずにあたふたして帰ってくる日々でした。
仕事ができるようになったタイミングはありましたか?
初受注した会社さんとの出会いが変わるきっかけでしたね。その会社さんは本当に小さい、10人にも満たないような会社さんで、ハローワークに求人を出すけど採用できない、けどお金もかけられないと困っていました。小さな会社だったので社員さん全員の顔が見えたんですが、皆さんの話を聞いているうちに本気で採用したいという気持ちが伝わってきたんです。だから、心の底からこの人たちの想いを届けたいと思いました。どんな求人にするか何度も話し合いましたし、無理言って制作クリエイティブの方にも入っていただいて掲載内容を練り上げていって。そしたら、採用できたんですよ。後々、入社した方にも会わせていただいたんですが「この会社と出会えて良かったです」と言ってもらえて、本当に嬉しかったですね。
そこから高知にUターンしたきっかけは何だったんですか?
小さな理由が色々あった中での決断でした。高知に帰ろうと考える前に会社を辞めることを決めたんですが、人の入れ替わりが激しく社歴の浅い人ばかりなのに、会社の目標だけが年々上がっていく生活に疲れていました。制作がどんどん外注されて、営業はとにかく売ればいいって感じになってしまい、本来やりたかったクリエイティブな業務に携わる機会も減っていきました。あとは、結婚や出産で営業を辞める女性の先輩がたくさんいたり、急なミッション変更で歯がゆい思いをしたり、様々な要因があって退職を決めました。東京での転職も考えたんですが、やりたいと思える仕事はなかなか見つからなかったですね。
そんな時に、たまたま高知に帰ったんですが、東京での生活に疲れていたこともあって高知の温かさを強く感じたんです。その時に、やっぱり自分は高知が好きなんだなってことに気付きましたし、震災をきっかけに家族の近くにいたいという気持ちも高まっていたので、Uターンを決意しました。
高知ではどんな仕事に就いたんですか?
高知に戻るなら高知のためになる仕事をしたいと思っていた時に、たまたま高知の大学法人の求人を見つけました。地域との関わりを重視している大学でしたし、前職で企業の新卒ニーズも把握していたので、その経験も活かせると思い大学職員になることを決めました。最初の2年間は地域連携の部署で、地域の方々と交流したり、地域に出ていく学生の手伝いをしたり、理想通りの仕事ができて楽しかったですね。上司が任せてくれる人だったこともあって、自分で色々考えてできる環境に手応えも感じていました。
その後、3年目・4年目は自治体へ出向し、地元のビジネスマンや起業を考えている方々に向けたセミナー、大学と企業の連携を推進するイベントの開催などを企画運営していました。「どんなセミナーやイベントを開いたら、この人たちが高知で活き活き働けるんだろう」ということを考えて形にする仕事はとてもやりがいがありました。
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みんなが憧れる四国を目指して

リージェントに転職するまでには、どんな経緯があったんですか?
2年間の出向が終わって大学に戻ったんですが、新型コロナウィルスの影響を大きく受けました。これまで予定していた行事がことごとくキャンセルになってしまい、本来やりたい事業がどんどん形骸化していく、何もかもが上手く進まない日々を経験しました。学生にとっては貴重な1年ですし、それが無くなってしまう重みを背負って何とか踏ん張っていたんですが、期待に応えられないもどかしさや悔しさが募っていって、少しずつ体調がおかしくなっていきました。ちょうど忙しい時期だったので、最初は疲れてるのかなと思っていたんですが、ある日大学に行けなくなってしまったんです。そこから何回か復職の機会はあったんですが、復帰しようとするたびに体が拒絶して、どうしても大学に戻ることはできませんでした。
それで転職を考え始めたんですね。
メンタルを崩して休んでいる時に、改めて自分は何がしたいんだろうと考えていたんですが、そんな時にリージェントのことを知りました。もともと「わざわざ残りたい、わざわざ来たいと思える高知をつくりたい」という想いを持ってUターンしたんですが、まさにそんなビジョンを掲げている会社でしたし、自分のやりたいことが叶えられる気がしたんです。コンサルタントも一人ひとりが個性を持ちつつ、同じ方向を向いて頑張っているように思えて、この人たちと一緒に働きたいと思いました。
実際に働いてみてどうですか?
転職を希望される方々と向き合っていると、働く価値観の多様性をすごく感じますね。どんな企業、どんな求人を良いと思うかは、本当に人それぞれだなって。だからこそ、活き活き働ける場所との出会いをお手伝いできることは、とてもやりがいや達成感があると思っています。色々な価値観や個性に触れると興味が湧きますし、この人らしさってなんだろうと考えることはすごく楽しいですね。企業もワクワクするような個性的で面白い会社が多いので、転職を考えられている方の価値観と、そうした企業の魅力がカチッとはまる瞬間はとても嬉しく思います。
これから目指していきたいことは何ですか?
いつか戻りたいと思っている人が「いま戻ろう」と思えるようなサポートをしていきたいですね。高知で地域課題の解決を目指すコミュニティの運営に携わっているんですが、そこで四国外に出ている地元の人たちと話をしていると「いつか帰りたいけど、仕事がね」という人が多いんです。戻りたいと思っているんだったら、戻ろうと思える会社や仕事を見つけ出して、その想いを叶えたい。四国を憧れる場所、みんな活き活き働ける場所にしていきたい。そんな価値を生み出していきたいですね。
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武市 理佐

高知県出身、香川県在住。大学卒業後、新卒で東京の求人広告会社(リクルートトップパートナー)へ入社。東京都港区をメインエリアに、メーカー、不動産、IT、広告など、あらゆる業界の大手上場企業からベンチャー企業まで、新卒・中途採用を支援。細かなターゲティングとコンセプト立案を得意とし、自ら取材や写真撮影、ライティングも行うなどクリエイティブの面からも広告効果の最大化に貢献。2017年に「地元のための仕事がしたい」という思いからUターン。大学法人で地域連携や産学官民連携に携わる。2022年に株式会社リージェント入社。四国地域全体の活性化を目指し、転職コンサルティングに従事。

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