この会社なら、IPOや資金調達に関するキャリアが活かせる。
- 佐々木
- 山田さんのこれまでのキャリアと、ターニングポイントを教えてください。
- 山田
- 1988年、大学を出て生命保険会社に入社しました。当時はバブル絶頂期、「24時間働けますか!?」とTVCMが流れていた頃で、がむしゃらに働きましたね。最初は営業、その後、人事、財務を経験しました。
しかし10年経つうち、少しずつ違和感を覚えてきたのです。父は建築職人で、サラリーマンと違った働き方をしていました。責任は大きいけれど、自由にやれる。手掛けた建築はずっと残るし、技術も身につく。そういう姿を何気なく見ていて、どこか憧れがあったのかもしれません。一方、自分はサラリーマン。少し上の先輩や上司を見ながら「自分もいずれこうなるのか」と想像すると、あまり格好のいい未来に思えなくて。
そして、13年いた会社を飛び出し、当時としてはかなり画期的なネット決済事業に取り組むベンチャーに転職しました。あの時が1つ目のターニングポイントですね。
- 佐々木
- まだ転職がそれほど一般的ではない時代に、大手からベンチャーとは思い切った転身ですね。
- 山田
- ベンチャーは仕組みもルールも何もなくカルチャーギャップを感じましたが、世の中にないサービスを創り出すという明確なやりがいがありました。しかし事業継続が難しくなり、他のネット大手に吸収されるタイミングで、私も再び転職。財務担当として転職先のIPO(新規株式公開)に関わる中で、数々のIPO案件を手がける会計士やコンサルタントと知り合いになりました。ここが2つ目のターニングポイントでしょうか。その方々からの依頼で、私はIPOを目指す企業のガバナンスづくりなどに携わるようになったのです。
40歳を過ぎ、地元・福岡へのUターンも経験しました。病気を患っていた両親のそばでの生活をすることと、同時期に福岡で民間航空会社を新規に立ち上げるという話があり、立上の第一号社員としてオファーを頂きまして。まあ苦労は多かったですが、なんとか新規就航にこぎつけ、IPOも実現できました。
それからも様々なご縁でIPOに関する支援を行っていたのですが、出会った伴侶が香川に暮らしていたこともあり、四国への移住を決めました。そこでキャリアの集大成として何かお手伝いできないか、と佐々木さんに相談したところ、出会ったのが建ロボテックの眞部CEOだったわけです。 - 佐々木
- 山田さんのキャリアを見て「すごい経験をもった人がきた」と感じたことを今でも覚えています。
- 山田
- 当時は、香川に自分がお役立ちできる会社があるのかどうかが、全くわかっていなかったので、佐々木さんと話す中で、失礼ですが、香川でも可能性がありそうだということに少しほっとしました。(笑)
- 佐々木
- 安心していただけてよかったです。(笑) 山田さんは眞部CEOのことを、どう感じられたのですか?
- 山田
- 私も仕事柄、いろんな人にお会いしてきました。IPOに関する内部統制に携わっていると、虚々実々取り混ぜて腹を探り合うことも多いですから。自分なりに人を見る目は肥えているつもりですが、眞部CEOを見て「この人なら間違いない」と思いましたね。当時、工場の二階に間借りした事務所に最初は衝撃をうけましたが(笑)。でも、中で働く人が素晴らしく、芯の通った事業を行っているベンチャーだと。眞部CEOの人柄に触れ、ここでなら自身のキャリアの集大成として力を発揮してもいいと感じました。
- 眞部
- 私も山田さんに会った瞬間に、仲間になって欲しいと感じました。当時は業界を変えるという信念と勢いで我武者羅に走っていましたが、外部からの資金調達の金額も大きくなり、会社としての基盤づくりの必要があったのですが、何から手をつけていいやら、大変だったことを思い出します。初回面談の後、すぐに次に会う約束をして、面談後にうどんを食べながら「ぜひ仲間になって、色々と教えてください」とお願いしました。
それから山田さんが入社し、3日後の土曜日にはベンチャーキャピタルとの話し合いに加わってもらいました。その過程で、山田さんから「組織のこういう部分を整備しないといけない、この計画を具体的にしないといけない」といった数々の提案をもらいまして、すぐに整備を進めました。今の会社の姿があるのはこの出会いがなければありえなかったと言えます。
CFOを迎えて半年で怒涛の変化。海外展開が具体的に。
- 佐々木
- それまでは、言わば眞部CEOのパワーで事業を引っ張ってきた。しかし製品の拡充や海外進出など、事業が次のステップに進むには、それだけで足らなくなっていた。その不足を埋めるに余りあるキャリアの持ち主が来たことで、事業が加速し始めたわけですね。
- 眞部
- 山田さんが入社して半年で、まさに怒涛の変化ですよ。
- 山田
- ラスベガスで開催された世界最大級の建築建材展「World of Concrete 2022」への初出展の話があり、資金が間に合うかな…なんて話していたら、ベンチャーキャピタルとの資金調達の話が具体化し、海外を中心に営業展開をしてきた人材の入社が決まり、海外事業の専門家に顧問を務めていただけることになるなど、引き寄せるように次々と決まりましたからね。本社の移転先も同じタイミングで見つかりました。過去の経験上うまくいくときは、こういうもので、入社後いきなりでしたが、とても刺激的な期間でした。
- 佐々木
- 建ロボテックの事業もそうですが、山田さんの人生も劇的に変わりましたね。
- 山田
- 初めて暮らす香川という土地で生活の充実感もありますし、仕事も楽しくやらせてもらっています。私は問題を感じたり、懸念があると思うところは遠慮せずズバズバ言うタイプです。するとCEOはそれらの主旨を正確に理解し、受け止めてくれる。いろんな経営者と仕事してきましたが、ここまで通じ合えるのは初めてです。
- 眞部
- 事業をこうしたいという思いはあるんだけれど、そのために何をすればいいのかわからなかった。そこに山田さんが来て、全体の輪郭を描いてくれるようになった。人材で言えば、どういう人材が不足しているのか明確になったので、そこに向けて実行すればよくなった。本当に助かっています。
- 山田
- 事業において一番大事なのは、良いモノを造り、世の中に提供することです。その点において、眞部CEOはものすごい熱量で取り組んでいる。私が資金調達や組織づくりでお手伝いできるのも、そのコアがしっかりしているからです。
建ロボテックに来て、外部の関係者や投資家の方々とお会いしますが、誰に聞いても眞部CEOに対する評価は、かなり高いです。私の想像していた以上に(笑)。みんなが建ロボテックの将来を買ってくれている。それは眞部CEOの築いた信頼です。「ここをキャリアの集大成にしたい」という自分の選択は、間違ってなかったと感じます。
当社が四国の前例になる。それによって後に続く人々が必ず現れる。
- 佐々木
- 山田さんのようなプロフェッショナルな経験をもつ人を四国に呼び込み、眞部CEOのような意欲の高い地元の経営者と引き合わせ、事業が前に進むようサポートする。やむを得ず地元に戻らないといけなくなった人が消去法で転職先を探すのではなく、「四国に面白い会社がある」「この会社でなら、世の中を変えられる」と感じてもらえるようなご縁を繋ぐお手伝いをする。それが当社のミッションだと考えています。そういった四国ならではの「働く」価値について、お二人はどのように考えておられますか。
- 眞部
- 一つには「日本地図で物事を見ていてはダメ」と言いたいですね。狭い日本の中で、首都圏は良くて、地方はイマイチだなんて言い合っていて、何の意味があるでしょう。世界というステージから見ると、東京も香川もそれほど差はない。私はアメリカを視察し、改めてそう感じました。
その上で必要なのは、前例でしょうね。地方のなにやら面白げなベンチャーに、腕利きのプロが加わったら、見る間に進化していったぞ、と。そういう前例があると、他の人も四国で動きやすくなるのではないでしょうか。そして、我々がIPOを実現し、成長を続けることでその前例を確かなものにしていきたいですね。四国には他にもIPOを目指しているベンチャー企業があるので、「よし、オレたちも続くぞ」という流れができれば、このエリアを魅力的に感じて関心を向けてくれる人は増えていくのではないでしょうか。 - 佐々木
- 首都圏でプロフェッショナルとして活躍している方々の中にも「地元で自分の力を必要とする会社があれば、何かお手伝いしたい」と考える人が出てきています。すぐにUターンはできないが、リモートでの関わりや複業などで貢献したい、と。離れていても働く環境が整いつつあるので、そういった関わり方も増えるかもしれませんね。
- 山田
- 事業における一部分をアウトソーシングしたり、限られた領域で知恵を貸してもらうなど、条件が整えばそういった方々にもぜひ地方に目を向けてもらいたいですね。
ただIPOや組織整備といったプロジェクトを丸抱えでお願いするのは難しい。会社に根を張り、社内のあらゆる領域に目を配らないと、IPOなどのミッションは達成できませんから。また、他の力を借りるだけでは、自分たちにノウハウが貯まりません。企業経営や事業戦略の根幹にあたる部分は、やはり自力でやれるようにならないといけない。 - 眞部
- 私が山田さんに来てもらったのも、財務関連を丸投げしたいと思ったからではありません。建ロボテックという会社を、事業だけでなく風土も含めて一緒に創造してほしい、と思ったからです。腹蔵なく意見をぶつけ合い、がっつり取り組んでもらいたいから。
- 山田
- 四国に来て感じたのは、魅力的で可能性のある地域だな、ということです。人もいいし、街も暮らしやすい。企業だって、建ロボテックのように世界を見据えて奮起している会社もある。後は、そういった企業をサポートする環境があればいいですね。創業するとか、IPOを目指すとか、資金調達したいとなった時、それらをバックアップするグループのようなものがあれば。例えば地元の成長企業が集まって、若手をサポートする会があったり、持ち回りで若手経営者の勉強会を長老が面倒見たり。自社の利益ばかりを押し出すのではなく、四国発展の牽引役をみんなで育てる仕組みがあると良いのではないでしょうか。
そこに行政が入ってもらってもいい。大学などにも参加してもらうのもいいですね。あるいは地域の1次産業を担う農業、漁業の方にも加わってもらい、「今、こんなことに困っている」という課題が共有されると、解決策が提示できるかもしれません。「世界一ひとにやさしい現場を創る」とミッションを掲げる当社も、何か協力できることがあるのではないかと思います。人材獲得の面でも、優秀な人を集めようとしても、1社だけの奮闘ではどうにもなりません。いくつもの選択肢を示すことができれば、人々は四国に目を向けやすくなります。 - 眞部
- そのためにも、やはり私たちが先陣を切って前例をつくっていきたいですね。「四国から世界に向けて世の中を変えるチャレンジをする」という私たちの意欲に感じるところがあれば、ぜひ一緒にやらないか、と。それが後に続く他社の励みにもなるでしょう。
- 佐々木
- そういった、先陣を切って動き出す四国の企業や人々を、私たちもしっかりサポートしていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
当社が運営する転職支援サイト「リージョナルキャリア」にて、建ロボテック(株)代表取締役CEO 眞部達也 氏の取材記事を掲載しております。併せてご覧ください。
眞部 達也
建ロボテック(株)代表取締役CEO
1976年生まれ。香川県出身。高校を卒業して調理師専門学校に進んだ後、レストランに就職。その後、父親が経営する(有)都島興業に入社。建設現場の非効率性という問題を解決するため、2013年にEMO(株)を設立。現場の作業効率化を大きく変えるVバースペーサーなどの製品を開発する。さらに、4年を費やした鉄筋結束トモロボの開発を機に、2019年、建ロボテック(株)へ名称変更。そのトモロボが2021年、公益社団法人発明協会主催「令和3年度四国地方発明表彰」において最高位の「文部科学大臣賞」受賞。つづいて、2022年りそな中小企業振興財団・日刊工業新聞主催「第34回 中小企業優秀新技術・新製品賞」において同じく最高位の「中小企業庁長官賞」を受賞。
山田 通德
建ロボテック(株)取締役CFO(最高財務責任者)
1963年生まれ。福岡県出身。大学卒業後、大手生命保険会社に入社。営業、人事、財務を経験。2000年、ネット決済事業に取り組むベンチャー企業に財務マネージャーとして転職。しかし同社が大手ネット企業の傘下になるタイミングで退職。IPOを支援する会計士やコンサルタントと知己を得、数々のIPO案件を手掛けるとともに上場企業のCFOなどを歴任。
2004年、地元の福岡で新規航空会社の立ち上げプロジェクトからオファーを受けて地元にUターン。資金調達、人材採用と同時に航空事業免許取得から新規就航にこぎつけ、IPOを達成。その後も、複数の企業のIPO案件や財務顧問、監査役等を務める。2021年、キャリアの集大成として建ロボテック(株)に。現在、取締役CFOを務める。
佐々木 一弥
(株)リージェント 代表取締役社長
香川県さぬき市出身。大学卒業後、2007年に株式会社リクルートに入社。求人広告の企画営業職として、香川・愛媛にて、四国に根差した企業の採用活動の支援を中心に、新拠点や新サービスの立ち上げも経験。2010年に販促リサーチを行うベンチャー企業の創業メンバーとして参画。創業の苦労と挫折を経験。2012年、株式会社リージェントの創業メンバーとして入社。2019年より代表取締役社長に就任。子どもと焚き火をするのが至福の時間とのこと。