外国人スタッフに囲まれながら、海外の品管と向き合った8年
- 佐々木
- 最初に小川さんの経歴についてご紹介お願いします。
- 小川
- 大学卒業後はバイク好きが高じて、バイク整備士として働いていたのですが、整備の仕事に限界を感じ、たまたま求人で見つけた非破壊検査の会社に転職。そこでプラント建設現場で圧力容器等の非破壊検査を3年ほど担当しました。
その後、大手エンジニアリング会社から、海外赴任を前提とする在籍出向の募集があったため、やってみたいと自ら応募。あらゆる国のプラント設備の品質管理業務を8年経験しました。職場の同僚はインド人だったりフィリピン人だったりで、彼らに業務上の指示を出す立場でした。最後の1年は大規模案件を遂行するため、クウェートに赴任。多国籍のメンバー10名のマネジメントを行いながら、計画策定・対外調整など、品管として幅広い業務に携わりました。 - 佐々木
- 自ら手を挙げ、グローバルな環境に飛び込んでいったんですね。ちなみに英語は得意だったのですか?
- 小川
- いや、全く。在籍出向の8年で、やりながら学んだ感じです。今でもそんなに流暢ではありませんが、言葉ができなくても伝えたい気持ちでカバーしていました。
- 佐々木
- 海外の人々と仕事する中で、価値観や文化の違いを意識することはありましたか?
- 小川
- 外国人のスタッフはみんな素直で優しく、価値観や文化の違いに苦労したことはほとんどなかったですね。私自身、あまり自分で抱え込むタイプでもなかったので、オープンにコミュニケーションする中で、ボスが困っているなと察したらメンバーが助けてくれるといういいチームワークで働けていました。
- 佐々木
- 前職のご経験で特に印象に残っていることは何ですか?
- 小川
- 海外赴任の経験はどれも印象に残っていますが、自身のターニングポイントとなった出来事は、大手エンジニアリング会社に出向した時、所属部署のトップにあたる上司に言われた一言ですね。「君は非破壊検査の資格は持っているが、ものづくりのことは何もわかっていないな」と。これが悔しくて。そこから、関連する資格を全部取るつもりで必死に勉強しました。上司は何気なく言ったのでしょうが、この言葉があったおかげで、多様な知識と経験を身に着けることに繋がり、それが今に繋がるベースにもなっています。
「家族を大事にしたい」という思いは、間違っていない
- 佐々木
- 海外の現場における品管として充実した30代を過ごした小川さんが、再度の転職を考えるきっかけは何だったのですか?
- 小川
- 前職ではキャリアを順当に積めていたので、不満があったわけではありません。ただ当時、私はずっと単身赴任生活が続いていました。地元の香川では妻と3人の子どもが暮らしており、また実家の高齢の父は体調を崩しがちでした。たまの帰省で会っても、家族と距離を感じてしまう。定年までの25年、ずっとこんな日常を繰り返すのだろうか、と。人生を振り返った時、そこには何も残らないんじゃないか。そんな疑問を感じ始めたのが、40歳の頃です。
- 青木
- 私が小川さんに初めて会った時も、そんな話をしていましたね。真面目で、家族をとても大事にしている。なのに単身赴任で、家族との暮らしが疎かになっている点に悩みを抱えているようでした。
こういう人に会えたのは、まさに縁だなと感じましたよ。サンテックは「世界中に仲間を作ってプラント製造技術を広げ、世界の環境問題や貧困問題の解決に寄与したい」との志のもと、具体的に行動を起こしている。海外で品管を経験した人が仲間に加われば、その動きが加速するのは間違いない。サンテックと同郷に、私たちの求める人がいたのか!と。
しかもその人は、家族との絆を大切にしたいと望んでいる。私たちの掲げる「All for the Family」というスローガンとも合致する。私は最初の面談の時、彼とそういう話をじっくりしました。ウチに来てほしいというのもあったけど、転職云々を抜きにして、家族を大事にしたいという思いは間違っていないし、家族を大事にしながら海外のステージで活躍する働き方はできるんだ、と伝えたかったから。彼はとても真摯に耳を傾けていましたね。
- 佐々木
- 青木社長との面談を、小川さんはどう感じられましたか?
- 小川
- 真っ先に感じたのは、「綾川町にこんな会社があったのか」という衝撃でした。
会社規模は決して大きくないが、アジア、中東、アフリカと積極的にネットワークを広げている。その原動力が、収益を上げたいからではなく、世界の貧困問題を解決し、環境保護と社会経済の両立を目指したいからだと。その情熱に圧倒されました。
ちょうど新社屋を建てているところで、その3D画像も見せてもらいました。オーソドックスな鉄工所から、明るく開放的な、ベンチャー企業を思わせる新社屋に変わろうとしている。製造キャパも拡大し、品管が活躍する場面も増えそうだと思いました。また新社屋には子どもを含めた家族が集える場所があったり、リビングスペースを設けたり。「従業員第一、顧客第二主義」という経営理念と「All for the Family」というスローガンを体現した社屋で、意思にブレがない。純粋にすごいなと感じました。 - 青木
- 面談は1時間くらいでしたよね。ホテルのロビーで。そんなに深く話したわけではなかったけれど。
- 小川
- 社長がラフな格好で、「どうも!」って感じできたのも衝撃でした。(笑) こんなに社長と距離の近さを感じさせる会社があるんだな、という点で。そんな気さくな人でありながら、明確な志を持ち、世界を相手に舵取りしている。これから大きく成長していくだろうし、そのプロセスに置いて、世界に通用する品質管理基準づくりといった面から自分のスキルを発揮できる場面もあるだろう、と。青木社長でなければ、私はUターン転職で香川に戻ろうとは思わなかったかもしれません。
- 佐々木
- 青木社長と話し、「地元で家族と一緒の生活」と「世界を舞台に活躍」は両立する、と確信できたことが決め手になったのですね。
- 小川
- 最後のひと押しは、当時香川で建築中だった家を見ながら、子どもと交わした会話です。「お父さん、こっちにいた方がいい?」と抱きあげた娘に聞いたら、彼女は笑顔で「うん!」と。この一言で、「All for the Family」をうたうサンテックに入社する決意が固まりました。
海外での品管経験は、サンテックにとって「消えない灯」
- 佐々木
- サンテックで勤務を始めて、どんなことを感じていますか。
- 小川
- 入社して半年、ようやく仕事の流れや会社の雰囲気に馴染んできたところです。事業の長所や、改善すべき点も見えてきました。品質管理部長として、そろそろ具体的な実績を作っていかないといけないなと思っています。クレーム数を減らすとか、歩留まり向上の方策を立てるとか、近いところから着手していきます。
まだわからないことも多いのですが、自分の不得手を補ってくれるメンバーにも恵まれているので助かっています。最初、現場の職人さんは強面な人が多いな~という印象だったのですが、話すとみんな本当にいい人で安心しました。(笑) センスが豊かな人も多く、品質管理の手順書作りなど、安心して任せられるスタッフもいます。周囲の力を借りながら、より広い視野で品管体制を整備していきたいと考えています。 - 佐々木
- グローバル展開がいっそう進んだ時を想定し、品管の基盤を築いておきたい、ということですね。
- 小川
- 国内ではうまくいったとしても、海外では必ず現地の状況に合わない部分が出てくるでしょう。基盤は変えずに、状況にアジャストさせる工夫が必要になるはずです。そのためにも、既に拠点のある中国やミャンマーにも足を運び、現地を確認したいですね。
- 青木
- 実際に海外に行ってみると想定外の苦労はたくさんあると思います。それでも彼は、当社にとっての「消えない灯」であり続けてくれると信じています。海外で品管をやっていた経験と培ってきた能力は、グローバル展開を加速していく当社で必ず活かせる。彼のステージは広がるばかりですよ。
「地方だからできない」は言い訳に過ぎない
- 佐々木
- 「四国ならではの働く価値」について、お二人はどのように考えておられますか。
- 青木
- 東京だからグローバルで活躍できるとか、四国だから可能性が低いとか、そういう捉え方はもう古いと思いますね。事実、四国にも、当社のように世界を見据え事業展開をする会社はたくさんあります。
ちょっとキツイ言い方ですが、「四国だからやりたい仕事に出会えない」というのも、ピントがズレている気がします。問題は環境ではない。自分が何をしたいのか、どこに向かいたいのか、そこが明確じゃないから決断ができないのではないかと思います。環境のせいにするのではなく、物事の見方を広げれば、可能性はなんぼでも開けると思います。 - 小川
- 他人にあれこれ言える立場ではないけれど、少なくとも「より人間らしい暮らしができる」のは断言できます。仕事を終えて家に帰る道すがら、昔から見てきた飯野山がそこにある。子供の頃から親しんできた、原風景ですよ。家に戻れば、家族がいる。愛する子どもたちがいる。夕飯に裏の畑で採れた大根が出てくる。どれ一つとっても、何物にも代えがたい価値があります。給料は下がるかも知れないけど、これらに囲まれて暮らすことこそ、自分の幸せなのだと実感します。
- 青木
- 四国は香川だけでなく、愛媛も徳島も高知も、かなりコンパクトです。周囲で何が起こっているのかも伝わりやすく、誰とでもすぐ会えるし、意気投合もしやすい。これは大きな武器だと思いますね。情報収集がしやすいし、協働も容易ということですから。
今や、職場の仲間は一つのオフィスで机を揃えて働かないといけない、という時代でもないでしょう。サンテックは製造業なのでフルリモートにはできませんが、同じパフォーマンスを出せるなら、田舎でテレワークして何の不都合もないはずです。
何のために働くのか。自分の幸せとは何か、を深い次元で考えてほしいですね。 - 佐々木
- 都市圏でできることは、四国でもできる。問題は環境ではなく、自分自身の人生観や将来との向き合い方次第だ、ということですね。1人でも多くの人がその価値を見出せるように、我々もがんばっていきます。本日はどうもありがとうございました。
当社が運営する転職支援サイト「リージョナルキャリア」にて、(株)サンテック 代表取締役社長 青木大海 氏の取材記事を掲載しております。併せてご覧ください。
青木 大海
(株)サンテック 代表取締役社長
1982年、岡山県生まれ。高校時代にアメリカ留学を経験。2003年、関西外国語大学を卒業後、2005年にアメリカ大使館商務部で勤務する。その後、2007年にはリーマン・ブラザーズ証券株式会社へ就職。並行してフィラデルフィアのテンプル大学でInternational Affairs(国際関係学)を学ぶ。この頃から「地球環境と社会経済の両立する道はないのか」といったテーマを意識し、行動するようになった。テンプル大学卒業後の2008年に(株)サンテックに入社。主に営業職として、販路開拓に飛び回る。2013年8月、同社の代表取締役社長に就任。2021年には新社屋を完成させる。
小川 正英
(株)サンテック 品質管理部長
サンテック本社のある香川県綾川町出身。近畿大学卒業後、バイク好きだったことからバイク整備士として就職するも限界を感じて4年で退社し、非破壊検査会社に転職。約3年非破壊検査に重視した後、大手エンジニアリング会社への在籍出向募集があり、応募。8年間、海外での品質管理業務に携わる。仕事には充実感を感じていたが、家族は地元の香川で暮らしており、このまま定年まで単身赴任を続けることに疑問を覚え、Uターン転職を模索。2021年、(株)サンテックに入社。品質管理部長として、同社の品管体制の基盤づくりを担う。
佐々木 一弥
(株)リージェント 代表取締役社長
香川県さぬき市出身。大学卒業後、2007年に株式会社リクルートに入社。求人広告の企画営業職として、香川・愛媛にて、四国に根差した企業の採用活動の支援を中心に、新拠点や新サービスの立ち上げも経験。2010年に販促リサーチを行うベンチャー企業の創業メンバーとして参画。創業の苦労と挫折を経験。2012年、株式会社リージェントの創業メンバーとして入社。2019年より代表取締役社長に就任。子どもと焚き火をするのが至福の時間とのこと。